賀曽利隆 STILL ON THE ROAD !

世界を駆けるバイクライダー・賀曽利隆(かそりたかし)。地球をくまなく走り続けるカソリの”旅の軌跡”をまとめていきます。

甲武国境の山村・西原の食文化について語ります。

甲武国境の山村・西原に「食」を訪ねて(その32・最終回)

(『あるくみるきく』1986年10月号 所収) 西原通い! 話はやや広がりすぎた。 私は「山地食文化」というテーマで日本中の山村を歩いているが、そこではかつての主食の雑穀類が米に押しやられ、急速に姿を消していった。その中にあって、どうして西原…

甲武国境の山村・西原に「食」を訪ねて(その31)

(『あるくみるきく』1986年10月号 所収) 世界が見えてくる! 雑穀類、麦類、芋類は西原の食を支えてきた3本の柱だと繰り返しいってきたが、それら3本の柱が日本に入ってきた伝播ルートが興味深い。 雑穀類はインドやアフリカのサバンナ地帯が原産…

甲武国境の山村・西原に「食」を訪ねて(その30)

(『あるくみるきく』1986年10月号 所収) 重なりあう食文化圏 日本は「粒主粉従」の国である。 つまり、飯や粥などの粒食が主で、団子や饅頭、うどん、そばなどの粉食が従になっている。 ところで粒食圏だが、世界的な視野でみると、ごく限られたエリ…

甲武国境の山村・西原に「食」を訪ねて(その29)

(『あるくみるきく』1986年10月号 所収) 西原の粒食と粉食 この項では、西原の食を支えてきた3本の柱のうち、雑穀類と麦類の利用の仕方をみてみよう。穀物の利用の仕方というのは粒食と粉食の2つに大きく分けられる。 くりかえしになるが、「粒食…

甲武国境の山村・西原に「食」を訪ねて(その28)

(『あるくみるきく』1986年10月号 所収) 西原の食の伝統 この項では米が常食となる以前、昭和30年代以前の西原の食生活を整理してみよう。 まずは日常食である。 朝食には麦粥のオバク(お麦)を炊いたり、アワ飯やヒエ飯の雑穀飯を炊いたり、サト…

甲武国境の山村・西原に「食」を訪ねて(その27)

(『あるくみるきく』1986年10月号 所収) オオムギとコムギ 西原でつくられている雑穀類と芋類を脇坂芳野さんの詩を中心にしてみてきたが、これらの畑作物は西原の食生活を支える柱になってきた。それともうひとつ、麦類もそれらに勝るとも劣らず重要…

甲武国境の山村・西原に「食」を訪ねて(その26)

(『あるくみるきく』1986年10月号 所収) 3編の芋の詩(うた) 以上、サトイモの詩、ジャガイモの詩、サツマイモの詩と、脇坂芳野さんの「芋の詩」の3編をみてきたが、どれをとってもわかるように、イモ類の調理には西原でいうところの「ひじろ」、…

甲武国境の山村・西原に「食」を訪ねて(その25)

(『あるくみるきく』1986年10月号 所収) サツマイモの詩 最後にサツマイモの詩である。 サツマイモは、 「大きな鍋に 木のわく入れて 竹の網置き さつまのせ」 とあるように鍋に八分目ぐらいの水を入れ、その鍋の中にシタジキと呼ぶ十字に交差する木…

甲武国境の山村・西原に「食」を訪ねて(その24)

(『あるくみるきく』1986年10月号 所収) ジャガイモの詩 次にジャガイモの詩である。 「せいだは白く 丸い顔」の「せいだ」はジャガイモのこと。江戸時代中期、安永~天明年間(1772年~1789年)に、甲州各地の代官を歴任した中井清太夫の名…

甲武国境の山村・西原に「食」を訪ねて(その23)

(『あるくみるきく』1986年10月号 所収) サトイモの詩 まずはサトイモの詩である。 西原で栽培されているイモ類はサトイモ、ジャガイモ、サツマイモ、それとナガイモだが、サトイモの重要度が群を抜いている。ここでは単にイモといえばサトイモを指…

甲武国境の山村、西原に「食」を訪ねて(その22)

(『あるくみるきく』1986年10月号 所収) 芋の詩(うた) 西原・下城の脇坂芳野さんは「雑穀の詩」だけではなく、次のような「芋の詩」もつくっている。 芋には長い ひげがある むしって桶で こすられて でっかい鍋に しお味で ひじろに掛かかる おか…

甲武国境の山村、西原に「食」を訪ねて(その21)

(『あるくみるきく』1986年10月号 所収) 西原のソバ 西原では年2回、ソバをつくっている。 4月に種を播き7月に収穫する「ナツソバ」と、8月から9月にかけて種を播き10月から11月にかけて収穫する「アキソバ」がある。 ナツソバは粒がとがっ…

甲武国境の山村、西原に「食」を訪ねて(その20)

(『あるくみるきく』1986年10月号 所収) シコクビエ(その3) シコクビエで興味深いのは、その栽培の過程で、イネと同じように移植することだ。 シコクビエの栽培法は次のようなものである。 4月から5月にかけて、表面をならした苗床に種を播き、…

甲武国境の山村、西原に「食」を訪ねて(その19)

(『あるくみるきく』1986年10月号 所収) シコクビエ(その2) 私が初めてシコクビエの饅頭を口にしたのは、下城の降矢静夫さんのお宅であった。 降矢さんは雑穀の味が忘れられないので、何としても種を保存しておきたいので、ということで毎年、雑…

甲武国境の山村、西原に「食」を訪ねて(その18)

(『あるくみるきく』1986年10月号 所収) シコクビエ(その1) 西原で栽培されている雑穀には、そのほかにシコクビエがある。 西原では「チョウセンピエ」と呼んでいるが、その周辺では各地で呼び名が違う。ゆずり原では「エゾビエ」、小菅では「サ…

甲武国境の山村・西原に「食」を訪ねて(17)

(日本観光文化研究所「あるくみるきく」1986年10月号 所収) モロコシの詩(うた) 最後が「モロコシの詩」である。モロコシは精白したものを飯に炊いたり、餅に搗いたりするが、ヒエ餅と同じように粉を餅にすることもある。 そのつくり方は、 「熱い…

甲武国境の山村・西原に「食」を訪ねて(16)

(日本観光文化研究所「あるくみるきく」1986年10月号 所収) ヒエの詩(うた) 次に、「ヒエの詩」である。 「ヒエの色は グレーかな」とあるように、ヒエの穀粒は灰色を帯びた黄褐色をしている。ヒエの脱穀は、キビのように簡単にはいかない。天日で…

甲武国境の山村・西原に「食」を訪ねて(その15)

(日本観光文化研究所「あるくみるきく」1986年10月号、所収) キビの詩(その2) 「みなげて洗って」だが、ごみや小石をとり除くために、精製したキビをくりかえし洗った。最低、3度は【みなげなおし】をした。 西原で栽培しているキビはほとんどが…

甲武国境の山村・西原に「食」を訪ねて(14)

(日本観光文化研究所「あるくみるきく」1986年10月号、所収) キビの詩(1) まず、「キビの詩」だが、西原ではキビのことを「キミ」といっている。 キビは「黒くてのめっこい」とあるように、表皮は濃いチョコレート色をしており、ツルツルし、光沢…

甲武国境の山村・西原に「食」を訪ねて(その13)

(日本観光文化研究所「あるくみるきく」1986年10月号 所収) 大学ノートの詩 脇坂芳野さんは大学ノートにびっしりと自作の詩を何編も書きとめていた。それを見せてもらい、ページをめくっているちに、私の目はあるページにくぎづけになってしまった。…

甲武国境の山村、西原に「食」を訪ねて(その12)

(日本観光文化研究所「あるくみるきく」1986年10月号 所収) 西原の女(ひと) 私は昭和54年以来、西原に通いつづけている。その回数は20回を超えている。車やバイクを使ったこともあるが、大半は足を使った。道のあるところはすべて歩いた。 歩…

甲武国境の山村・西原に「食」を訪ねて(その11)

(日本観光文化研究所「あるくみるきく」1986年10月号 所収) 「白芳館」の食事 さて、西原の「白芳館」の家まわりの畑だが、石垣の下には菜の花畑とイチゴ畑。茶の植えられた比較的、大きな畑には雑穀のキビとウグイス菜、シュンギク、コカブ、レタス…

甲武国境の山村・西原に「食」を訪ねて(その10)

(日本観光文化研究所「あるくみるきく」1986年10月号所収) 再び西原へ 5月中旬にひきつづいて5月下旬にも西原を訪ねた。その時は下城の「白芳館」に泊まった。白芳館は木造3階建の旅館で、それまでに何度か泊まっている。私の西原での定宿になっ…

甲武国境の山村・西原に「食」を訪ねて(その9)

(日本観光文化研究所「あるくみるきく」1986年10月号所収) 馬方の時代 5月とはいえ、高地の西原では、日が落ちると寒さをおぼえるほどである。 夕食後、掘りごたつに足をつっこみ、お茶を飲みながら、中川さんの話を聞いた。 中川さんは戦前、畑仕…

甲武国境の山村・西原の「食」を訪ねて(その8)

(日本観光文化研究所「あるくみるきく」1986年10月号所収) 夕食の煮込み 雑穀の種まきを終えると、中川さんはいったん家に帰り、今度はツルハシを持ってモウソウの竹やぶに行く。タケノコ掘りをするのだ。片一方が尖った刃、もう一方が幅広い刃をし…

甲武国境の山村・西原に「食」を訪ねて(その7)

(日本観光文化研究所「あるくみるきく」1986年10月号所収) 午後からは、中川さんにアワとキビの種まきを見せてもらった。じつはこれが今回の西原訪問の大きな目的だった。家の近くの2畝(約200平方メートル)ほどの畑を2分し、一方にアワ、もう…

甲武国境の山村・西原の「食」を訪ねて(その6)

(日本観光文化研究所「あるくみるきく」1986年10月号所収) 西原の民宿「中川園」の食事 私は火の見櫓を降りると、今晩の宿となる民宿「中川園」を訪ねた。今では残り少なくなった茅葺屋根の家で、ご主人の中川勇さんは温厚な方。やさしそうな笑みを…

甲武国境の山村・西原に「食」を訪ねて(その5)

(日本観光文化研究所「あるくみるきく」1986年10月号所収) 西原を見下ろす風景 終点の飯尾で折り返し、原の停留所でバスを降りる。 私の目の前には、甲武国境の山脈に向かって緩くせりあがっていく傾斜地の畑が一面に広がっている。 クワ畑が目立っ…

甲武国境の山村・西原に「食」を訪ねて(その4)

(日本観光文化研究所「あるくみるきく」1986年10月号より) 西原の峠道と山上道 バスで通ってきた初戸、六藤、上平、田和、扁盃、下城、郷原、原、飯尾のほかに、西原には甲武国境の山脈の中腹に位置する藤尾、佐群があり、鶴川の本流と支流にはさま…

甲武国境の山村・西原に「食」を訪ねて(その3)

(日本観光文化研究所「あるくみるきく」1986年10月号より) 西原に入る 上野原駅前を出発して50分、峡谷を抜け出て、バスは初戸(はど)という停留所で止った。わずかに開けた小空間に20戸ほどの家々が寄り添っている。ここからが旧西原村。初戸…